回天義挙とは(功山寺挙兵)

回天義挙(かいてんぎきょ)とは、元治元年(1864年)に高杉晋作が功山寺で挙兵した事件を指します。「回天」とは「天を回す」、つまり絶望的な状況を逆転させるという意味です。当時、長州藩は四国艦隊下関砲撃事件や禁門の変の敗北により、保守派(俗論派)が藩政の実権を握り、幕府に恭順する姿勢を取っていました。改革派(正義派)は弾圧され、多くの志士が処刑される危機的状況にありました。高杉晋作はこの状況を打破するため、わずかな同志とともに決起し、藩の主導権を奪還することを目指したのです。
 

1864年12月15日、高杉晋作は功山寺山門の石段を馬で駆け上がり参上したとも言われております。
功山寺は下関市の長府にある禅宗の古刹(現曹洞宗)で、当時は三条実美ら五卿(禁門の変後に京都を追われた公卿たち)が滞在していました。晋作はまず五卿に挨拶し、挙兵の意志を伝えました。
 

五卿への挨拶と決意表明

晋作は五卿の前で、現在の長州藩の危機的状況と、このまま保守派の支配が続けば藩が滅亡するという危機感を訴えました。三条実美らは晋作の決意に感銘を受けつつも、兵力の少なさを憂慮しましたが、晋作は「これより長州男児の肝っ玉をお見せ致します」と力強く宣言しました。五卿からは激励の言葉を受け、道義的な支持を得ることができました。
 

挙兵の宣言

功山寺の境内で、晋作は集まった同志たちの前で挙兵を正式に宣言。

晋作と生死を共にする覚悟で集まったのは、伊藤俊輔率いる力士隊・石川小五郎率いる遊撃隊の他数十名ほどと、わずか80名余りという少数での挙兵でしたが、晋作の情熱と決意が同志たちの士気を高めました。

その日は、下関には珍しく雪が積もった晩でした。

月明かりに照らされた雪の夜道は、いつもより少し明るかったことでしょう。

功山寺を出立すると、晋作らはまずは下関の新地会所(藩の役所)を襲撃し、電撃的に制圧しその勢いのまま下関全域を押さえました。

ここから、次第に数百人という規模に仲間が加わっていき、転戦の末、長州藩内の俗論派を排除し、実権を取り戻すことに成功したのです!
 

回天義挙の歴史的意義

わずか80名での挙兵から始まった回天義挙は、最終的に長州藩の藩論を倒幕へと転換させる大きな契機となりました。高杉晋作の大胆な決断と行動力、そして同志たちの献身的な協力により、絶望的な状況が逆転したのです。この成功がなければ、明治維新の実現も大きく遅れたか、あるいは実現しなかった可能性すらあります。功山寺挙兵は、一人の志士の決意が歴史を動かした劇的な事件として、現在も語り継がれています。



この「明治維新の胎動」とも言われる「回天義挙」の地で、晋作の決死の決起に想いを馳せてみませんか?

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